世界はまだ油断してるから

4歳と1歳半の男の子ふたりの子育てを父親目線で紹介します

子どもに死の意味を教えるのにおすすめの絵本「かないくん」

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こないだ本当にびっくりしたことがあった。


お布団に入って、みんなで寝ようかな、という時に僕が4歳の息子にちょっかいを出したら「もう!やだ!」と怒りだして、こんなことを言ったのだ。

 

「ねぇママ、パパを殺して、新しい世界を作ろうよ」

 

文字にするとかなりどぎついが、子どものかわいい声で言われると、ん?なんだ、なんだ、となる。

 

その後に何を言ったか脳が理解して、怒ることもできず、茫然としてしまった。

 

幼いから言葉の重みを分からずにアニメか何かの影響で「殺す」といってしまったのはまだ分かるけど「新しい世界」ってなんだよ。

 

なに、その神の視点。やめてほしい。なんて物騒な話だ。

 

いったいどういうつもりなんだろう。いつも見てるアニメはドラえもんだけど、そんなセリフ出てくるのかな。

 

そもそも息子は死ぬということを分かっているのだろうか。

 

4歳児にとって「死」とはなんなんだろう

 

こないだ息子がママに叱られた時に「僕が死んでもいいの?」と問いかけていた。

 

隣の部屋で聞いていた僕は、その言葉に驚いてしまった。

 

ずっとやりとりを聞いていたわけではないので、どういう流れか分からないけど使い方は正しいから、死ぬということをある程度理解しているのだろう。

 

その少し前、嫁がふざけて「ママはもうだめだ、後は任せたよ、バタっ」とやったら、息子はベットに入って、わんわんといつまでも泣いていた。

 

「死」とは何か、死んだらどうなるか、そういうことは分からないだろうけど「死んだらもう会えない」ということは分かっているみたいで、少しずつ、幼い息子の頭の中に「死」というものが入り込んでいるようだ。

 

こんな小さいのになんでだろう、と思うが、自分自身を振り返ると、小学校に入る前ぐらいの頃に、明確に死を意識したことがある。

 

それは父親と寝ている時で、なんとなく死を理解し始めた僕は急に「ということは父もいつか死ぬ」ということに気付いて怖くなって、一人でメソメソと泣いていた。

 

父は僕が隣で泣いていることに気づかず、すやすや寝ていた。その寝ている姿がさらに死を連想させて怖くなった。

死は情報でしかないのかもしれない

 

中学校の時の同級生が亡くなったという話を、同窓会で聞いたとき、それは事実なんだけど、不思議な感じがした。

 

彼が亡くなったのは3年前らしいけど、でも、僕は知らなかったから、ずっと生きていると思っていた。

 

それってまるで星の輝きのようだなと思った。僕らが見ている星の輝きは何百年も前に星が放った光であって、実はその星はすでに消滅している、という話だ。

 

こないだ「羊毛とおはな」というミュージシャンを知って、何曲も聞いて、すごく好きになってライブに行こうと思って調べたら、2015年の4月にボーカルの千葉はなさんが亡くなっていて驚いたことがある。

 

それも同じ理屈だと思う。知らなければ、ずっと生きていたのだ。

 

不思議な話だが、現代における死とはそういうことなのかもしれない。

 

それはこうも言える、死が身近なものから「情報」になった時、それを知らなければ生きているのと同じなのだ。

 

子どもにどうやって「死」を教えるか 

ずいぶん前に小学校でハムスターを飼う理由は、2年間のクラス替えの前に寿命で死ぬから、子どもに死を教える意味でもふさわしいという話を聞いたことがある。

 

また、ゴルゴ13の130巻にこんな言葉がある。

 

「子供が産まれたら子犬を飼うがいい、子犬は子供より早く成長して、子供を守ってくれるだろう。そして子供が成長すると良き友となる。青年となり多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。犬は青年に教えるのである、死の悲しみを」

 

確かに動物を飼って、死を教えるというのは一つの手だと思う。

 

でも、いきなり飼えというのは難しい話だ。しかも、死を教えるためなんて、やだ。

 

そう思っていた時に読んだのが「かないくん」という絵本だった。

 

同級生の死を描いた絵本 

 

「かないくん」は、絵が松本大洋、詩が谷川俊太郎、装丁が祖父江慎という豪華メンバーで作られた本である。

 

谷川さんは「スイミー」をはじめ、数多くの絵本で文を担当してきた人。

 

その谷川さんが84歳になって書いたのが、同級生が死んだ話だった。

 

お友達が死んだ、周りはどうなる、自分はどう思う、変わらないもの、そして変わってしまったものが描かれる。

 

「みんな、かないくんのこと忘れちゃったの」というのがグサっときた。お葬式でテキパキしてるおばちゃんとか見ると、確かにそう思う。

 

素晴らしい松本大洋の絵で読み進んでいると、途中から急に場面が変わり、死をどう描けばいいのかわからない、 作家が出てきて、そしてラストは、けっこう意外な展開で終わる。終わりは始まりだと。

 

もしも、子どもにどうしてこの終わりなの?と聞かれても答えるのは難しい。そんな終わり方だ。

 

でも、そういうスッキリ、消化できないラストだからこそ意味があると思う。

 

子どもにも読ませたいけど、大人でも楽しめる本だ。

 

そう、僕らは絶対に死ぬ。こんな先が見えない時代でもそれだけは100%だ。

 

だからこそ、この本は死ぬまでに読んでおくべきだと思う。

 

 

 

親が涙するおすすめの絵本「おおきな木」村上春樹訳

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ごんぎつねのことを思い出すと、心が痛む。

 

いっぱい絵本は読んだのに、心に残る作品には少しの理不尽さと憤り、そして死がある。

 

それは戦時中のゾウの処分を描いた作品「かわいそうなぞう」でも同じである。

 

物語はいつだって、すっきり爽快だけではない。

 

勧善懲悪やハッピーエンドは気持ちは良いけど、その瞬間、通り過ぎるだけで何も残らない。

 

実は文章も一緒で、本当に上手い人はわざと「悪文を混ぜる」という。

 

そうすると、いままですんなり読めていた文章が、「ん?どういうこと」となってテンポを落とす箇所が出てくる。

 

そうすることで何かが残る文章になるのだという。

 

ちなみに僕はそんなテクが無いから、まずはスッとスッと読めるものを心がけている。

 

村上春樹訳の「大きな木」は良い物語なのか?

 

いま絵本業界で話題になっている本に「おおきな木」という作品がある。

 

なにが話題なのか、それは「これは良い話なのか、ひどい話なのか」という論争が日本で起きているからである。

 

この作品は、1964年にアメリカのシンガーソングライターであり、作家でもある、シェル・シルヴァンスタインによって描かれ、日本でも1976年に出版されている。

 

本田錦一郎さんによって翻訳された同作品は多くの人に愛されていたが、 出版元が発行を続けることが困難になった。

 

そこで出版社を変えて村上春樹が新たに翻訳を行い、2010年に改めて発行されたのだ。

 

いつも木と話す少年。枝にブランコを付けて、ずっと仲良しだったが、やがて少年は女の子に夢中になり、木とは遊んでくれなくなる。

 

それでも木は少年を待ち続けていた。

 

久しぶりに少年が来たと思ったら、お金が必要だ、家を建てる木が必要だ、と言いだす。

 

そのたびにリンゴの木は実をあげたり、木を切ってあげたりする。

 

さらに「遠くに行きたい」と言いだした時には、自分を切って船にしてあげている。

 

しまいには切り株だけになったリンゴの木。そこにやってきたのは、年老いた少年だった。

 

「疲れた」という少年に「私に座りなさい」とリンゴの木は声をかける。 切り株に腰かけた姿を見て、果たしてリンゴの木は幸せだったのか・・・。

 

まさに親と子の関係のようだ。与え続ける親、受け取り続ける息子。

 

最後の最後に村上春樹が投げかけた言葉がいつまでも心に残る。

 

そして、ここだけが前の人の翻訳と明確に違うところだという。

 

子ども向けだけど親に読んで欲しい一冊

 

僕はこの本を読んでいて、後半泣きそうになってしまった。

 

木と自分を重ねたからだと思う。子どもが生まれた時「自分より大切な存在がいる」と初めて知った。

 

本を読んでいるとその時の気持ちが蘇ったのだ。

 

その一方で、無条件に甘え続ける少年にもイライラした。でも、理不尽だからこそ、心に残る作品だといえる。

 

この本が売れている理由は、きっと親がぐっと来る作品だからだと思う。

 

手元に持っていて何度も読み返したい一冊だ。

 

11ヵ月の息子が笑う鉄板ネタを見つけたよ

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パパのライフはもうゼロです――。

 

この書き出しは「やめて!ハハのライフはもうゼロよ!」にインスパイアされた感じだけど、本当にもうライフゼロです。ぜーぜー言ってます。

 

何が起きているのか、それはかわいい11ヵ月の我が子の笑顔のためなのです。

 

ついに判明した11ヵ月の息子が笑う往年の動き

 

4歳の息子が爆笑するギャグ、それが「よっこいしょういち」だというのは、
以前のブログで書いた通りなのですが、もう一人の11ヵ月の息子の方が
ずっと分かりませんでした。

 

お腹が空いては泣き叫ぶ、ママがトイレに入ってはトイレのドアの前で泣き叫ぶ彼に何をすればいいのか――。

 

答えはふいに生まれました。

 

その前から彼が激しい手の動きが好きだと気付いていたので、その日、両手を高く上げぐるぐると回してみました。

 

さらに足も地団太を踏むように激しく動かします。

 

最後に決めゼリフの「ポゥ!!」の声とともに我が子を指差すと、見事に爆笑しています!!

 

そう、カズダンスです。

 

Jリーグ世代の必修科目はカズダンスだ!

 

僕は1978年生まれなので、ちょうど中学3年生の時に、Jリーグが開幕し、オレオレ言ってました。

 

僕はちょうど小6の時に連載開始された「スラムダンク」の影響でバスケをやってましたので「あれ、バスケが流行っているんじゃなかったの??」と、女子がサッカー部にキャーキャーいうのを見ながら思った記憶があります。

 

そんな世代のお調子者人間にとって、カズダンスなんて必修科目みたいなもんでした。

 

かわいい我が子の笑顔。やっと見つけた笑いのツボ。

 

嬉しくてうれしくて、僕は何度もカズダンスをしました。

 

調子に乗って「オーレオレオレオレ」とか歌ってます。

 

懐かしいです。もうJリーグカレーが食べたい気分です。ノリノリな僕。苦笑いの嫁。そんなの気にしません。

 

かれこれ15分は経ったでしょうか。

 

体は熱を帯び、疲れ果ててます。
すっかり体調不良になりました。。


その日はR-1があったのですが、それを見ずに寝ました。


大好きなザコ師匠のビッグなボイスと「ハンマーカンマー」が向こうの部屋から聞こえました。

 

年甲斐もなく、カズダンスなんてするもんじゃないですね。

 

でも、これ鉄板ですよ。1時間踊ればきっと1時間笑ってくれます。

 

11ヵ月の赤ちゃんの笑わせ方が分からない人はぜひ試してみてください。

 

それにしても、こういう経験を経て、人は「若い時に産んだ方が楽だよ」っていうんでしょうね。

あの日から5年で子どもが二人増えました

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長男の妊娠が分かったのは、震災の年の5月だった。

 

あの頃、地震と津波がひと段落して、今度は放射能騒ぎが起こっていた。

 

テレビでは政府が「ただちに影響は無い」といっていた。逆説的には「将来的には影響がある」と何度も繰り返している状況での妊娠の発覚。

 

逆算すれば、震災前。もしも震災の後なら「今はやめておこう」となっていたかもしれない。

 

「こんなタイミングで生まれてくるのかぁ」と思った。

 

あの頃の空気はそういう感じだった。世紀末感が半端無かった。

 

同じ頃、小さい子どもがいる友達が放射能から逃げるために2組も東京から移住した。

 

この子と二人のときに地震が来たらどうしようと妻がいった

 

うちの嫁は子どもが生まれた後、軽い産後うつになって、しくしくと泣き出した。


「もしもまた地震が来たら、この子と逃げられるかな」


まっ暗い部屋でそう言って泣く妻に、僕は大丈夫と言い続けるしかなかった。

 

そういう時期だった。でも、だからこそタフに育って欲しいと思った。

 

震災後を生きる子どもに残したメッセージ

 

そういえば、出産前に僕と嫁は子どもにメッセージを残した。

 

三脚で固定したビデオカメラに向かって生まれてくる子どもに話しかけた。

 

「大変な時代だけど、力強く生き抜いてね」

 

もう一度地震が来るかわからないから、最後のメッセージのつもりで、何度も何度もやり直しながら完璧なものを残した。

 

残したつもりだった。

 

でも、こないだ見返したら違和感がある。何かがおかしいのだ。

 

なんだろう・・・。全体をもう一度見てみる。

 

 

「あ、僕のチャックが開いてる、、、」

 

なんで、なんでこんなまじめな顔で、メッセージ語ってチャック開いてるんだろう。

 

それに気付いて、みんなでゲラゲラ笑う。

 

あの頃、お腹にいた子どもが「パパ~チャック~」と言っている。

 

下の子は笑顔のまま、つかまり立ちで歩いている。嫁も笑っている。

 

気付いたら4人になっていた。


そんな未来あの頃は想像もできなかった。

 

世界がこれからどうなるのかなんて、いまも本当に分からない。だからこそ、せめて今は笑えるように日々がんばろうと思う。

 

それがあの日から5年目の誓いだ。

 

 

子どもが生まれたらどうやって寝るの問題

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子どもが増えた時に夫婦を悩ませるのが、どうやって寝るのかという問題。

 

一人目の時はなんとなく、どうにかなったけど、二人目になるとそうはいかない。

 

うちは子ども二人いますが、いま思うと一人目の時からこうしておけば良かったのがあるので、それについて書こうと思います。

 

みんなで寝たいのか、バラバラでいいのか

 

うちにはもともと無印のセミダブルベッドがひとつあって、最初の子が生まれた時は、嫁と子どもがそのベッドに寝て、僕が下に布団を敷いて寝ていました。

 

ただ、二人目が生まれるという時に、どうしようとなりました。

 

この時の選択肢は3つです。

1、ベッド=嫁・赤ちゃん、布団=僕・長男(3歳)
2、ベッド=嫁・赤ちゃん、長男 布団=僕
3、ベッド=嫁・長男、布団=僕・赤ちゃん 

これで夫婦で話し合った結果、2はあり得ないと。セミダブルに3人は無理だと。それで1が一番現実的な気がして、その方向で進んでいました。

 

ただ、途中から嫁から「大きいベッドにみんなで寝たい」という希望が出てきたので、その方向で再度検討することになりました。

 

キングサイズを求めてIKEAへ

 

みんなで寝たいなら、でかいのを買えば良い、と最初は思ってIKEAに行きましたが、IKEAはキングサイズなどの表記は無く、ダブルベッドというのがあるだけでした。
それを見ながらもう一方で、その大きいベッドは将来どうなるんだろうと考え始めました。

 

子どもが大きくなったときに、子ども部屋にベッドをあげる、あるいは夫婦がまた同じベッドに寝るときに、その大きいのは使えないなと。

 

また、同時に既存のベッドを捨てるのがもったいない、という気持ちも出てきました。

 

無印のベッドを組み合わせる

 

ということで以下の条件で再度検討することにしました。

 

・ベッドを組み合わせて大きくする。
・既存のベッドも活かしたい。

 

もともとのベッドが無印のマットレスとフレームだったので、無印良品に行ってみました。

 

そこで店員とも話した結果、
・ダブルとセミダブルのフレームを買って、それをピタリとくっつける。
・マットレスはダブルをひとつ買って、既存のセミダブルのマットレスは活かす(フレームは処分する)
ということにしました。

 

ちなみにフレームは以下のものにしました。

www.muji.net

 

これにヘッドボードを組み合わせて使ってます。

 

この「2つの無印ベッド組み合わせ作戦」で、ようやく我が家は家族4人が一緒に寝れるようになりました。

 

6畳の寝室ががっつり埋まるので、覚悟が必要ですが。

 

一個だけ問題なのは、昔のマットレスと、いまのマットレスで規格が変わり、若干高さが違うことです。たぶん3cmぐらいだと思いますが、寝ていると意外と気になります。。

 

そう思うと、最初の子が生まれたときにダブルを1個買って、2人目が生まれたらセミダブルを買って足すなど、もっと計画的にやっておけば良かったかなと思います。

 

まとめ

 

・ベッドは大きいベッド1つよりもセミダブルとダブルなど2つをくっつけた方が後々分けられる
・子どもを何人産むか考えたうえで最初のベッドを買った方が良い(理想論ですが)
・もちろんお布団の方が楽。ベッドだと柵を付けても心配なので(うちは嫁がベッド派だった)

 

子育ての中で意外と話題に上らないどうやって寝てるか問題。

 

うちもけっこうニトリ、IKEAとぐるぐる回って苦労したので、どなたかの参考になれば幸いです。 

 

意外に4歳児が気にしていたこと

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前回の記事で書いた通り、こちらのブログでは育児ネタの更新をしていこうと思う。

 

さて、今日はダイエットの話。

 

先日、体重計に乗ったら過去最高の数字になっていた。そういえば確かにお腹周りがやばい。

 

ベストから4kgもオーバーしている。これは減らさなきゃ。

 

ダイエット計画を始動

 

具体的にはご飯や麺類を減らして、野菜などを多く採るという方針にした。あとは週末に運動する。

 

ということで昨日の夜はここのサイトに出ていた  

kurashi-no-kihon.com

かみなりこんにゃくを作って食べてることにした。

 

固い決意をして帰ってきたのに、家に帰ると4歳の長男が「遊ぼ~う」と近づいてくる。

 

「パパはダイエットやるんだよ」と言いながら、こんにゃくを切っていると「僕もダイエットやる!」と隣に着いてきた。

 

料理ができたので、ダイニングテーブルに二人で座った。なかなか美味しそうだ。    

 

気にしてたんだ・・・

 

さっきからやたらとダイエットと言っているけど、果たして彼はその意味が分かっているのだろうか?

 

試しに聞いてみた。

 

「ねぇ、ねぇ、ダイエットってどういう意味だと思う?」

 

 「えっと、いっぱい食べて大きくなりましょう」

 

 「逆だなぁ、逆。あのね、パパは太っちゃったの。お腹見て、ほらデブでしょ?」

 

洋服をめくってお腹を出して脂肪をつかむ。子供も僕のお腹の脂肪をつまむ。なかなかの量だ。

 

すると急に息子が沈黙した。そのあとに「あのね、実は僕もそうなんだ」と言って洋服をめくってお腹を出した。

 

食卓のオレンジの光の下に幼児特有のぽっこりお腹が出てきた。まん丸だ。

 

「僕もデブなんだ・・・」と落ち込む息子。

 

うん、知っている。服着てても分かるよね。

 

あれ、ひょっとして意外と気にしてたの? いや、4歳とかそんなもんでしょ。

 

なんだかすっかりしょげた感じの息子のお腹を二人でつまみながら「ね~お肉あるでしょ」とやっているうちに、いつしか笑顔になっていた。

 

なんか意外な悩みが出てきて驚いちゃった。気にしてたんだ。

 

それにしても食事とか気にしだしたらまずいな。

 

これから息子の前でデブネタは禁止だな。

子どもが爆笑する往年の名ギャグはこれだ!!

さいきん子どもと一緒に寝るときにする昔話も尽きてきた。

 

そこで昔からたくさん聞いている落語をやることにした。

 

 いまは「まんじゅうこわい」と「寿限無」をやることが多い。

 

まんじゅうこわい」は、大勢で集まって「自分が何が怖いか」を発表していく中で一人のやつが「おれはまんじゅうが怖い、あ~考えたら怖くなった」と言って、奥のふとんにもぐってしまう。

 

周りの連中は面白がって、まんじゅうを大量に買ってきて枕元に置いたら「こわい、こわい」と言いながら、まんじゅうをバクバク食べてしまう。「ウソつき!本当は何が怖いんだ?」「今度はお茶が怖い」が落ちの話。

 

この話をすると、子どもはわけが分からなくて「なんで怖いのに食べるの?」となる。それを説明することで、一個ひねった「とんち」を学ぶことができる。

 

もう一つの寿限無の方は、子どもに受けるポイントがある。

 

それがじゅげむじゅげむの名前の中の「ポンポコピーポンポコナー」だ。ここで確実に爆笑となる。これはやっぱり音が面白いからだと思う。

 

それ以外に、もうひとつ子どもが爆笑する鉄板ネタがある。

 

それが「よっこいしょういち」だ。

 

ウソだろ、と思うが、本当の話である。

 

このギャグ、たぶんすでに絶滅したギャグだと思う。日本で使っている人はいない。流行したのは昭和47年ごろだ。元ネタとなったのは横井庄一さんという人物である。

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この横井庄一さんは、戦争が終わった後も「まだ戦争が続いている」と思って、フィリピンに28年間潜伏していた人である。

 

「どうやらまだ隠れている人がいるらしい」という情報が入って探したところ、見つかって、帰国した時に言った「恥ずかしながら帰ってきました!」はその年の流行語となっている。

 

そんな感じで、一躍有名人となった横井庄一さん。

 

その余波で生まれたギャグが「よっこいしょういち」である。

 

まさに余波も余波。小さいさざ波のようなもので、そのギャグはすでに絶滅したと言っても過言ではない。

 

そもそも僕自身も生れて無い時の話だから、リアルタイムには何にも知らない。ただ、昔そういうギャグが流行ったというのを、確か「こち亀」で読んで知っていただけだ。

 

それがいま時空を超えて、4歳の息子の爆笑を産む鉄板ネタになっているのだ。

 

もうちょっと座るだけで「よっこいしょういち」「ぎゃはははは」って感じだ。

 

子どもなんて、ちょろいもんである。 ふふふ。

 

あと最近は僕が「パンパパン」と歌うと、勝手に「おいしくな~れと気持ちを込めて手間をかけて仕込んでいるの♪」と歌いだす。これも面白くて何回も「パンパパン」と言ってしまう。

 

だから、家の中では「ぱんぱぱん」と「よっこいしょういち」が飛び交っている状態である。

 

さて、この「よっこいしょういち」で大爆笑。果たしてうちの子だけなのだろうか。

 

もしも小さなお子さんがいる人がいたら、ぜひ試してみてほしい。みんな受けるのかなぁ、うちだけかな、気になるところだ。

 

P.S 子供の中で「よっこいしょういち」が大ブレイク。言いまくっているので、保育園で言わないか心配。。

褒めて叱る方法を4歳の息子から学んだ話

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育児本を読んでいると、たいてい「子どもをいっぱい褒めましょう」と書いてある。僕が読むのは、男の子の育て方が多いのだが、まずは褒めて自己肯定感を高めましょう、という意見が多い。
 
確かに、転職する時や恋愛の場面など、いざという時でも「自分なら大丈夫」と思える自己肯定感は、人間にとって根っこの部分であり、そこをしっかりとお水をあげて根を張らせることは大事だと思う。
 
その一方で、それだけでいいのかな、と思う。
 
やはり、きちんと叱らなければいけない時もある。
 
僕の場合、子どもに対してどんな職業に就こうが、どんな格好をしてもいいけど、少なくとも「自分の嫌いなタイプの人になって欲しくない」というのをルールにしている。
 
時間を守らない、ごめんなさいがいえない、人の気持ちが分からない、という嫌いな人にはなってもらいたくないと。それだけを基準にしている。
 
そのため、こないだパンを蹴った時は怒った。食べ物を粗末にしたから。
 
いつも子どもがボールを蹴って上手く飛ぶと、僕がすごい褒めるから、子供はそれと同じ感覚で蹴ったんだと思うし、たまたま床に0歳児が落としたパンが落ちていたことが問題ではあったけど、それでも、ダメ。そこは強く言ったら、隣の部屋で大声で泣いていた。
 
「叱るには信頼関係が大事」といわれるけど、やっぱり難しい。信頼関係は作っているつもりだけど、言い過ぎたかな、とか考えちゃう。
 
褒めて、叱る、ああ、なんて難しいんだろう。どうやってバランスをとったらいいんだろう。。
 
そんなことを思っていたら、4歳の息子がお手本を見せてくれました。
 
息子の通う保育園では、食事の時に「お背中ピン!足ぱっちん!(閉じて揃える)」と言ってから食べているみたいで、最近、息子が食事中の親の足を注意することが多くなった。うるさいなぁ、と思いながらも、「そうだね」と言って足を揃えていた。
 
そして、昨日の夕食の時、みんなでご飯を食べていたら、息子が嫁に向かって
 
「ママ、かわいい女の子なんだから、足パッチンして」
 
と言ったのだ。
 
え、なにこれ。褒めて叱ってる。まただ、また名言出た。すっごいなぁ。
 
持ち上げて叱る。言われた方も素直に「そうだな」と思える。しかも、自分の母親に向かって「かわいい女の子」って。
 
いや、マジで見習うこと多いわ。きっと仕事でも応用できる気がする。先輩が後輩に叱る時も「お前は体格が良いんだから、背筋を伸ばしな」とか「技術はあるんだから、一個一個丁寧にやった方がいい」とか、最初に一褒めを入れることで、ぜんぜん印象が違う。
 
あ~きっと、こういうのが広がれば世の中がもっと良くなる気がする。
 
いやぁ、学ぶこと多いわ。
 
 

男の子二人の父となって

 

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 昨日、妊娠中の友達から「お腹の子は女の子でした」という話を聞きました。

 
すでに一人女の子がいるので、これで二人とも女の子です。
 
逆にうちは、二人とも男の子(4歳と10カ月)。これ以上増やす予定は無いので、女の子は育てない人生となります。
 
子どもを一人産んだ時は「わーい生まれた」ってことで大喜びですが、二人目の性別が分かったところで、色々と親は思うところがあるのではないでしょうか。
 
今日はその辺りについて、パパ視点で書いてみようと思います。
 

理想の子どもは、男の子と女の子の二人?

 
うちの母親は四姉妹なのですが、自分が親になって気付いたのは、きっと祖父と祖母は男の子が欲しくて4人も生んだんだな、ということです。そして4人で諦めたんだろうと。
 
けっこう、そう考えると周りにいる三人兄弟とか、男二人で最後女の子の家とか、親なりに次こそは!と勝負に出た結果なんだな、ということに気づきます。
 
やはり親になれば、男の子、女の子、両方育てたいと思いますからね。
 
それで自分のことを振り返ると、僕が長男で、下に妹がいる二人兄弟です。親としては見事な感じですが、じゃあ、いま仲が良いかというと、仲が悪いことは無いのですが、特に話すことは無いです。というのも、共通の話題が無いんです。
 
もちろん普通に話すんですけど、本当に何にも話すことがないな、という感じです。携帯の家族割りの手続きの話ぐらいですかね。
 
一方で、うちの嫁は三姉妹なのですが、本当に仲が良いです。この世で一番仲良しなのは、三姉妹なのでは、と思うほど仲良しです。ずっと化粧品の話とかしゃべってます。
 
そう考えると、男と女が生まれたからオッケーというのは、親的には良いでしょうが、子ども的には、どちらが良かったかは分からないなと思います。
 

男の子ふたりという状況

 
さて、男の子ふたりです。これは身近な人にいないので良く分からないです。
 
ただ、周りの兄弟二人の人に聞くと、「絆が深い」と言います。ドラマやマンガなどを見ても、若干ライバル的なところもありますが、結局、分かりあえるところがある、ということでしょうか。
 
そういうのは僕は妹とは無かったです。特に妹が中学の時にちらりと部屋の中を見たら壁に「目指せガングロ」と書かれている紙があったのを見て以来、距離を置いてしまったので、いまだにその距離は縮まらないです。
 
ということで、男兄弟も悪くないのでは、と思っています。
 

男の子ふたり~ママの場合

 
嫁は、「イケメン」「ハーレム」「私の彼氏」という言葉を一日に何度もいいます。
 
まるでウォーキングデッドの、ゾンビに食べられるシーンみたいに、子ども二人に上に乗られても嬉しそうです。
 
もちろん、大きくなればそういうのは無くなると思いますが、とはいえ、やはり男の子はママが大好き。そこはいつまでも続いていくと思います。
 
嫁自身も「女の子を産んで一緒にショッピングしたかったなぁ」と言いますが、それよりも二人のイケメンに囲まれて満足しているようです。
 

男の子ふたり~パパの場合

 
男としては、男の子という生き物のことはよく分かります。基本バカで、ママが好きで、虫と鉄道が好きな単純な生き物です。こいつらとは、分かりあえるな、と思っています。
 
そして、この先もアウトドアや釣り、旅行など色々と楽しいイメージが浮かびます。
 
一方、女の子の場合、絶対に僕のことを嫌いになります。臭いとか言われます。
 
ちなみにこの父親が臭い、という話。実は娘が自分と近いDNAを避けるために、本能的に父親の臭いを避ける時期があることから起きる現象です。
 
でも、そんなことを分かっていても、嫌われたり、嫁に行くのは耐えられません。ということで、娘はいなくてもいいや、となります。
 
ウソです。娘は欲しかったです。でも、男二人もいいかなと、相撲ごっこをしたり、「ハーレムだ」と嬉しそうにしている嫁を見ると思います。
 
この論争はきっと正解はなく、僕が書いたことも色々なケースがあるので、なんとも言えないと思いますが、とりあえず、いま男の子二人がいて、幸せです。大きくなったら分からないですが。
 
そして、女の子は孫として登場する可能性があるので、そちらに期待ですね!きっとすっごいかわいがると思います。
 
みなさんどうなんですかね? どの組み合わせが良いんでしょうね。

息子が靴にいたずらをします

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チェブラーシカ」に好きなシーンがある。
 
ワニのゲーナが荷物を持っていたら、チェブラーシカが「僕が持ってあげるよ。代わりに僕を持って」といって、ゲーナに抱っこしてもらうシーンだ。
 
普通なら「おい、それじゃ余計重いだろ!」というツッコミになるが、なぜかゲーナは「そいつは良い考えだ」とチェブラーシカを抱っこして歩いていく。僕の大好きなシーンだ。
 
さて、今朝の話。
 
玄関で、僕と息子で出発準備をしていたら、嫁が「この缶も捨てて行って~」とビニール袋を渡してきた。僕はちょうど靴ひもを結んでいたのだが、4歳の息子が「ママ、僕が持つよ!」と力強く宣言したのだ。
 
「おぉ、かっこいい!」と思ったが、「じゃあ、行くよ、パパ、抱っこして」となって、まさにチェブラーシカと同じ状態。しかも、僕の手には電動自転車の充電器もあり、重いのなんの。
 
「遅刻、遅刻!」と急いで保育園について、準備していると靴を脱いでいる息子が来ない。
 
やっと来たので「早く、早く」と急かして預けて、外に出たら、僕の靴がこんな感じになっていた。。
 
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最近いたずら好きなんだよなぁ~。