子どものまっすぐな言葉にドキリとしました
2月から4歳の息子がプールに通い始めた。
スポーツクラブに行っているので週に1度で月に7000円ぐらいかかる。
恐るべき世田谷区。僕も小さい頃に通ってたけど、親はそんだけ払ってたんだね。
携帯1台と一緒だ。
それでもやはり泳ぎは上手くなって欲しいので、通わせることにした。
ガラス越しの息子に見とれてしまう
プールは土曜日のお昼になった。初めてプールに入った息子は、かなり怯えた様子。ちょこんと体育座りをして、みんなと一緒に座っている。
よく考えたら、そもそも自分の子どもが遠くで何かやっているのを見るのも初めてだった。しかもガラス越し。
子どもに笑みがこぼれると、こちらも思わず笑ってしまう。たまに上の方の親が座っているエリアを見て、こちらに手を振ってくる。こちらも手を振ると笑顔になる。
いつも部屋にいるときは、上に乗ってきて邪魔だなと思ったりするけど、少し離れただけで、違ってみえてくる。
毎週毎週、嫁と下の子と3人で、息子の泳ぎを見ていた。さすがに教え方が上手いので、だんだん打ち解けて、水にも慣れてきた様子。
気付くと教えることがルーティンになっていた。それと同時にこちらも飽きてきた。
そうなると、ついついスマホをいじっちゃう。周りをみると、すでに何ヵ月も通ってるであろう親はみんなスマホでゲームをしている。子どもなんて見ていない。
みんなそんな感じか。
「子どもは水につけろ」というけど、プールに入れておけば、子どもはごきげんだし、こちらは子どものかまって病から解放される。自由だ。そう思っていた。
子どもは何を不安に思うのか
その日は、嫁が体調不良で僕が一人で息子をプールに連れていくことになった。
急いで着替えさせて先生に預ける。僕は親の席に移動して、自分の席を確保しようとした。その前に温かい飲み物が欲しくなった。自販機は冷たいものばかりだった。
レッスンはまだ始まっていないので、外に買いに行くことにした。
席に戻って子どもの様子を見ながら、時間を過ごす。やがてレッスンが終わって息子が出てきた。
ずっとムスっとしていて、外に出て自転車に乗せようとすると、子どもが怒りだした。
「パパ、なんでいなかったんだよ!」
「え、見てたよ」
「最初の方だよ。いなかったでしょ」
「あ、ジュース買いに行ってた。ごめん」
「パパがいなくて、さみしかったぞ!」
ズキューンときた。
まるで往年の東京ラブストーリーのセリフのように、強めのトーンでいう「さみしかったぞ」は、寒い寒いと早く出発しようとばかりしていた僕の心にズキュンときた。
「ごめんね、最初の方?」
「そうだよ、あのみんなで座ってる時だよ」
そうか、あの知らない人と泳ぐときに、息子はきっと上を見上げて親の存在を確認して、安心してから泳いでいたんだ。
泳ぐところよりも、最初のあの時に居て欲しかったんだな。
僕はまたしくじってしまった。
次の週から僕は熱烈なストーカーのように息子が見える角度を見つけて、たとえそれが外からでも見るようにしている。
もうあんな気持ちにさせてちゃだめだ。あいつはがんばっているんだ。
それにしても、あの「さみしかったぞ」はすごい破壊力だったなぁ。大人になったらなかなか言えない、素直な気持ち。その素晴らしさを改めて感じた冬だった。
さて、明日はプールのテストだ。一生懸命応援するぞ。手もいっぱいふるぞ。さみしいなんて言わせないぞ。