4歳児の母親への愛に罪悪感すら感じる話
さいきん4歳の息子の流行りはお地蔵さん。
ママがプールに行っている時に、近所のお地蔵さんに二人でお参り(手を合わせて願いごとをいう)をしたんだけど、それ以来、お地蔵さんというワードが会話の中でよく出てくるようになった。「お地蔵さんは歩けないんだよね~」とか、そんな感じで。
繰り返される求婚
ママ大好きな息子は、たびたび「ね~ママ、結婚しようよ」と言っている。嫁も嬉しそうに「いいよ」とか言っている。
そんな子どもとママのやりとりをほほえましく見ていたが、こないだ
「ママ結婚しようよ」
「だめだよ~」
「なんで、じゃあ、赤ちゃん(弟)と結婚しなよ」
「だめ、だめ」
「なんだよ!じゃあ、パパとすればいいじゃん」
「しているよ」
「え・・・・」
というやりとりがあった。
なんだよ、その意外そうな表情。クラス一のイケてないやつと付き合っているマドンナみたいな感じなのか?
やめてほしいなぁ~。
ということが、家の中で繰り返されていた。
純情な感情が空回り
その日は、天気の良い5月だった。
朝から家族みんなで世田谷区の松陰神社あたりをウロウロしていたが、長男は朝からずっと「シャボン玉がしたい」と言っていた。
だが、「そのうちね~」とはぐらかしながら、家に帰ったら「もう、パパのうそつき!」と怒りだしてしまった。
時間は6時半ぐらい。やや暗くなってきたが、まだ間に合う。近所の公園に行ってシャボン玉を始めた。
息子がすぐにシャボン玉を作る。久々に見たら、呼吸の強弱が上手くなったみたいで、大きいシャボン玉や細かいシャボン玉など、色々なバリエーションを作れるようになっていた。
「そろそろ行くよ~」と声をかけたら、「最後!」と言って息子が空に向かって、大きなシャボン玉を飛ばした。
そして、大急ぎで手を合わせて「ママと結婚できますように、ママと結婚できますように」と言った。
そのあまりにまっすぐな気持ちを前になんだか時間が止まってしまった。
やがて僕は罪悪感を感じた。それは自分が旦那として存在していることにだった。「ごめんよ~」という気持ちになった。
家族の新しい形はどうなるのか?
昨日のこと。散歩中の息子がまたママに「結婚しよう」と言いだした。嫁が「パパと結婚しているんだ」と言うと、息子はまた怒りだし、「なんだよ、パパは赤ちゃんと結婚すればいいじゃん!僕はママと結婚するよ」と言いだした。
それは良い考えだ。だいぶ枠組みが変わるが、新しい形が見えてきた。そうだ、そうだな。
って、見えねーよ!
それにしても、すごいなぁ。男の子の母親への愛はまっすぐだなぁ。驚いちゃうよ。