世界はまだ油断してるから

4歳と1歳半の男の子ふたりの子育てを父親目線で紹介します

粋な言い方をする3歳の息子に脱帽!

 「裏の床屋が空いてたよ」

 
古今亭志ん朝は、散歩から戻ってきて、髪の毛が伸びている弟子に、そう言って注意したと言います。弟子の方は「あれ、なんで床屋の話なんてするんだ?そうか、髪が伸びてるってことか!」と気付いたそうです。これが「粋」な言い方です。
 
「粋」とは何か、この定義は難しいです。
 
九鬼周造は『「いき」の構造』で、粋について江戸特有の美意識である、と語ったうえで、「理想主義の生んだ『意気地』によって霊化されていることが『いき』の特色である」と説明しています。
 
意気地とは、「やせ我慢」のことです。こうあるべき、という理想の姿があって、でも、実際はそうじゃなくて、それに対して「やせ我慢」をする。
 
例えば、吉原で惚れた女がいて、そいつと夫婦になりたい、と思う。でも、その女がお金持ちに見受けされることが決まった、それを聞かされた時に、「やだよ~」なんて言うのは、粋ではありません。「おめぇが幸せになれるなら、それでいいじゃねぇか」と言って、ご祝儀をあげて去る。それが「粋」です。
 
本当はかっこ悪いです。てめェがもっと金持ちなら、それだけの甲斐性があれば、、でも、そういうものは無い、無いならスパっと切り上げる。正しいか、正しくないか、そういう次元で「粋」を語るのは違います。あれは「理想化された美意識」であり、現実的には『バカ』って話です。そういうことが本を全部読むとなんとなく分かりますが、この説明だけでは、よく分からないと思います。
 
こういう話は落語家さんとかは良く知ってそうな気がしますが、前に落語家の方と「落語の中の粋な行動」っていうので本とか講座ができるんじゃない?という話をしていた時に、意外と出てこなくて、困った思い出があります。彼らも明確に把握しているわけではありません。
 
立川談志は『やかん』の中で「上品ってのは欲望に対してスローモーなやつのことだ」と言っていました。
 
飯が出てきても早く食べない、ゆっくり食べると「上品だ」となる。金をやると言われてもすぐ受け取らないのが上品だ、と。
 
それと、冒頭の志ん朝の言葉を組み合わせると、「欲望を直接的に口に出さずに、スマートに伝えるのが『粋』である」と言うことができるかもしれません。
 
もちろん『粋』とは多面的なものですが、そういう側面もあります。つまり「直接言わない」というのが粋においては大事なのです。
 
なんでこんなことを考えるのか、というと、うちの息子が粋だからです。彼はママが大好きです。弟が出来て、ママが弟に授乳しているときは、悔しくてすすり泣くほどのママ好きです。
 
そんな彼はお店に行って、すばやく自分の場所を確保してから、「ママ~となり空いてるよ」といいます。決して「隣に座って!」「ママ、こっち!」なんて言いません。彼はただ情報を伝えるだけです。となり空いてるよと、なんてスマート!
 
さらに先日、クリスマスのプレゼントを見に、デパートに行った時には、色々と歩き回った後にふと「パパ、喉乾かない?」と言ってきました。
 
そうだな、どこかに自販機あるかな、と思ったらちょっと後ろにありました。きっと彼はジュースが売っていることを見ていたのでしょう。でも、「ジュース買って!」とか「喉乾いた!」なんて言いません。「ねぇ、喉乾かない?」です。
 
ジュースのお金を自販機に入れながら、あぁ、これが「粋」ってやつなんだなとしみじみ感じました。
 
誰も教えたわけではないのに、なぜ身についているのか、本当に不思議です。
 
広告を非表示にする