なんでみんな僕におもちゃをくれるんだろうと息子は言った
昨日の夜、リビングにいた僕のところに4歳の息子が近づいてきた。
どうやらミニカーをティッシュに包んだようで、それを5個も持ってきて、一つずつ「開けてみて」と開けさせる遊びがしたかったみたいだ。
「おぉ、かっこいいね!」など言いながら、全部開け終わって少しの沈黙があった後に「うちにはおもちゃがいっぱいあるね。なんでみんな僕におもちゃくれるんだろう?」と言い出した。
試しに「なんでだと思う?」と聞いたら「やさしくて、かっこよくて、あとママのお手伝いするからだと思う」と言っていた。
おおぅ。すげぇなと思った。
でも、これは本人が自覚している長所というよりは、親である我々がよくいう褒め言葉から来ているんだと思う。
それにしても、なんか驚いてしまった・・・。
とりあえず「正解!」と答えておいた。
自分が世界の中心ではないと気付くとき
長男はきっといま世界の中心は自分だと思っている。
でもそれはどこかで崩壊するものだと思う。たぶん小学校に入ったら。
保育園とか幼稚園は横並びだけど、小学校に入ると次第に能力の差が顕著に表れてくる。
勉強の点数とか、異性にもてるとか、足が速いとか。
ぜんぶ完璧な人は多くないから、どこかで敗北感をもつんだけど、その一方で自分の勝てるフィールドを見つけて、そこで仲間を作って、自分なりの「心の秘密基地」みたいなもので、楽しく過ごす時期がある。
でも、いつか自分は世界の中心ではないと気付く時が来ると思う。
僕の場合は自分が風邪をひいて休んだときだった 。
僕がいないとさぞ寂しいだろうなぁ
世界の中心は自分だと思っていた。
僕はクラスのお笑い担当というポジションと立候補による学級長という地位によってクラスの中で自分の立ち位置を得ていた。
クラスの中心にいる気になっていた僕だが、ある日風邪をひいて学校を休んでしまった。
次の日に登校する時、僕は歩きながら「きっとみんな寂しかっただろうなぁ」と考えていた。
授業中の笑いの量だって減ってしまって、きっと教室は静まり返っているはずだと。
でも、学校に行ったらみんな普通だった。それどころか誰も「大丈夫?」と声をかけてこなかったのだ。
おかしい、おかしいと思いながら授業も聞かずにずっと考えていた。そして、お昼休みを迎えた頃には気付いた。
きっと僕は世の中にとって、いてもいなくても良い存在なんだ、と。
その次に「じゃあ、死んでもいいんだ」と思った時期もあり、死にはしなかったけど結論は出た。結局、それは事実であり、僕がいなくても世界は困らないのだ。
死んでも一緒かぁと思ったけど、でも、だからこそ楽しく生きようと思った。
そこに至って、ようやく気持ちが楽になった。
だって、もともとプラマイゼロの存在なら、ちょっとでも誰かに良い影響とか与えれば、それはかなり儲けもの、というかラッキーな現象だからだ。
こうして僕は自分が世界の中心ではないことを知り、そのうえで自分の立ち位置を定めた。中二ぐらいの時だ(やっぱり中二は特別な年なんだなぁ)。
息子はいま自分が世界の中心だと思っている。
いつそれに気付いて、そのとき何を考えるのか。父親として静かにその変化を見守っていきたいと思う。
それしても、あいつは自分を「かっこいい」って普通に思ってるんだな。
すげーな。