世界はまだ油断してるから

4歳と1歳半の男の子ふたりの子育てを父親目線で紹介します

昨日のママと今日のママは似てるね

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「昨日のママと今日のママは似てるね」と4歳になったばかりの子どもに言われた。


僕はよく子どもの言葉に上手く返せないのだが、この時も「えっ」っとなってしまった。


子どもがまだ生まれたての頃、眠くなると必ず大声で泣き始めた。

これから寝るのに、何で泣くんだろう。お布団に入れば幸せなのになぁと思ったが、その時に思い出したのが、NASの「眠りは死のいとこみたいなもんだ」という歌詞だった。

つまり、眠る=死ぬと思ってるから「やだ、死にたく無いよ!」と泣いているのだろう。そう思うと、理不尽に感じた、寝る前に泣き出す理由も共感できた。確かにせっかく生まれてきたのに、死ぬなんてごめんだ、そりゃ僕でも泣き叫ぶ。

だから、「大丈夫、大丈夫、死なないから寝な。明日ちゃんと起きるから、明日はまた目を覚ますから大丈夫だよ」と泣き叫ぶ子どもに声をかけていた。


4歳になって子どもの語彙が増えると、たまに大人と同じだな、と思う。

では、何が違うのかというと、世間を知ってるか、知らないかだ。昨日も湖を見て、海だ!と言ってたけど、彼は世の中に湖があることを知らないのだ、それなら、大きな水のあるところを見れば海になるだろう。

海じゃないというと、「じゃあ、池?」と言われたけど、よく考えたら池と湖の定義の違いを僕も知らなかった。

話を戻すと、昨日と今日はつながっている。連続している。徹夜すれば分かる。


では、昨日の自分と今日の自分は本当に繋がっているのだろうか。


自分はそう思っている。寝て起きて、今日だ。

でも、本当は寝るという行為で、一度死んでいるのかもしれない。それを自分では気付かないけど、他人から見れば違うのかもしれない。明確に違うわけじゃない。でも、微妙に昨日の自分とは違うのだ。

それを表現する言葉は、きっと「昨日の自分と似てる」だと思う。


そう思うと、冒頭の子どもの言葉を安易に否定できない。

昨日の僕と今日の僕は似てる。でも、実は違う人なのかもしれない。赤ちゃんが寝る前に泣いていたのは実は正しくて、寝て起きればまた同じ自分が続いている、と思っていた自分が間違っていたのかもしない。。

そう考えると、ちょっと、ゾワっとした。

さて、今日は年越しだ。上手く越せるかなぁ。一人だけ「今年」に取り残されないように気を付けないと。

それではみなさん、良いお年を。