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世界はまだ油断してるから

4歳と1歳半の男の子ふたりの子育てを父親目線で紹介します

なんでみんな僕におもちゃをくれるんだろうと息子は言った

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昨日の夜、リビングにいた僕のところに4歳の息子が近づいてきた。

 

どうやらミニカーをティッシュに包んだようで、それを5個も持ってきて、一つずつ「開けてみて」と開けさせる遊びがしたかったみたいだ。

 

「おぉ、かっこいいね!」など言いながら、全部開け終わって少しの沈黙があった後に「うちにはおもちゃがいっぱいあるね。なんでみんな僕におもちゃくれるんだろう?」と言い出した。

 

試しに「なんでだと思う?」と聞いたら「やさしくて、かっこよくて、あとママのお手伝いするからだと思う」と言っていた。

 

おおぅ。すげぇなと思った。

 

でも、これは本人が自覚している長所というよりは、親である我々がよくいう褒め言葉から来ているんだと思う。

 

それにしても、なんか驚いてしまった・・・。


とりあえず「正解!」と答えておいた。

自分が世界の中心ではないと気付くとき


長男はきっといま世界の中心は自分だと思っている。
でもそれはどこかで崩壊するものだと思う。たぶん小学校に入ったら。


保育園とか幼稚園は横並びだけど、小学校に入ると次第に能力の差が顕著に表れてくる。

 

勉強の点数とか、異性にもてるとか、足が速いとか。

 

ぜんぶ完璧な人は多くないから、どこかで敗北感をもつんだけど、その一方で自分の勝てるフィールドを見つけて、そこで仲間を作って、自分なりの「心の秘密基地」みたいなもので、楽しく過ごす時期がある。

 

でも、いつか自分は世界の中心ではないと気付く時が来ると思う。

 


僕の場合は自分が風邪をひいて休んだときだった 。

 

僕がいないとさぞ寂しいだろうなぁ


世界の中心は自分だと思っていた。


僕はクラスのお笑い担当というポジションと立候補による学級長という地位によってクラスの中で自分の立ち位置を得ていた。

 

クラスの中心にいる気になっていた僕だが、ある日風邪をひいて学校を休んでしまった。

 

次の日に登校する時、僕は歩きながら「きっとみんな寂しかっただろうなぁ」と考えていた。

 

授業中の笑いの量だって減ってしまって、きっと教室は静まり返っているはずだと。

 

でも、学校に行ったらみんな普通だった。それどころか誰も「大丈夫?」と声をかけてこなかったのだ。

 

おかしい、おかしいと思いながら授業も聞かずにずっと考えていた。そして、お昼休みを迎えた頃には気付いた。

 

きっと僕は世の中にとって、いてもいなくても良い存在なんだ、と。

 

その次に「じゃあ、死んでもいいんだ」と思った時期もあり、死にはしなかったけど結論は出た。結局、それは事実であり、僕がいなくても世界は困らないのだ。


死んでも一緒かぁと思ったけど、でも、だからこそ楽しく生きようと思った。
そこに至って、ようやく気持ちが楽になった。

 

だって、もともとプラマイゼロの存在なら、ちょっとでも誰かに良い影響とか与えれば、それはかなり儲けもの、というかラッキーな現象だからだ。

 

こうして僕は自分が世界の中心ではないことを知り、そのうえで自分の立ち位置を定めた。中二ぐらいの時だ(やっぱり中二は特別な年なんだなぁ)。

 

息子はいま自分が世界の中心だと思っている。

 

いつそれに気付いて、そのとき何を考えるのか。父親として静かにその変化を見守っていきたいと思う。

 

それしても、あいつは自分を「かっこいい」って普通に思ってるんだな。


すげーな。

わんぱくでもいいたくましく育って欲しい【虫出てきます】

うちの嫁は同い年なので、それほどジェネレーションギャップを感じることはないのですが、今日ふと「針すなお」と言ったら、会社の20代の女の子が分からなくてびっくりしました。

 

そういえば、2人目が生まれた時に、会社の女の子に「おめでとうございます。どうですか?」と言われたので「わんぱくでもいいからたくましく育ってほしいです」というボケを入れたのですが「そうですね」と普通に返されました。後で聞いたら全く分からなかったそうです。

嫁から驚きの連絡がありました

 

さて、お昼頃、嫁から写真付きで連絡がありました。

 

なんとお正月に嫁の実家の近くで捕獲して、虫かごに入れておいた、
かまきりの卵が孵ったようです。

 

しかも、すでに脱走しているとのこと。

 

わんぱくに育ってほしい、という気持ちから、子どものために持ち帰った卵ですが、
いざ本当に産まれるとどうしよう、、となります。

 

よく鳩を捕まえようとする人がいますが、ああいう人は捕まえてどうするつもりなんですかね?

 

とりあえず、ある程度逃がさざるを得ないかな、と思ってます。意外と孵るもんですね。

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我が子をミュージシャンにしたいならこの絵本「ベンのトランペット」

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ぼくの好きなアーティストに星野源と大橋トリオがいる。

 

優しい歌声と良い人そうな雰囲気、それでいて音楽的な深みもある。

 

日曜日の朝や読書の時によくかけている。

 

そんな二人には意外な共通点がある。

 

それは幼い頃に家でジャズに親しんでいたことである。

 

大橋トリオの場合は、父親が音楽関係の仕事をしており、高校生の頃に父親のもっていたジャズのレコードをききまくった時期があるという。

 

一方の星野源は、実家がジャズ喫茶ということもあり、幼い頃からジャズは非常に身近な存在だったそうだ。

 

星野源がテレビのインタビューで「家ではいつもジャズがかかっていた」と語るのを聞いた嫁は「ジャズを家で流さないと!」と言い出した。

 

そして、その時に「ベンのトランペット」を読み聞かせすれば、子どもは確実にジャズにはまるだろう。それぐらいクールなジャズが完全密封されているのが「ベンのトランペット」という絵本だ。

 

ジャズへの憧れが閉じ込められたクールな絵本

 

谷川俊太郎はけっこうな量の絵本の文を担当しているので、それを追っているうちに「ベンのトランペット」に辿り着いた。アマゾンのレビューは2件だが、いずれも5で満点だったのだ。


いざページを開くと、その白黒のクールな世界に驚く。

 

まるでブルーノート時代のレコードジャケットを見ているような雰囲気だ。

 

物語はトランペットを吹きたい黒人の少年ベンが主人公だ。

 

彼はいつもジャズクラブの演奏を覗いていた。シンガーの姿、ドラマー、そして、トランペッター。彼はトランペットもっていないので、口と仕草で吹く真似をする。

 

友人にバカにされてもそれを繰り返していたら、ある時、憧れのトランペット奏者に声をかけられ――。

 

この本はストーリーもさることながら、ジャズを演奏する人々のかっこいい白黒の絵にひたすら惹かれてしまう。

 

そして文集は絵を邪魔しないようにシンプルに書かれている点も好感をもてる。

 

かつて存在したクールなジャズの世界を、丁寧に梱包してタイムマシーンで現代に送ってくれたような、そういう世界感は本当に魅力的だ。

 

ジャズのレコードを収集して部屋に飾っている人に子どもが出来たら、プレゼントしたくなっちゃうような、そういう素敵な一冊だと思う。

 

この本を読みながらジャズを流したら、なんだか素敵な家族な気がする。おすすめです。



保育園児から言われた驚愕のパシリ指令とは?

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こないだ子どもが夜中に水が飲みたいと言い出したんだけど、毎晩のことでその日はとくに眠かったので「よし、レモンって10回言って、言えた?ツバでた?飲んで、はい、寝るぞ」ってやってやり過ごしました。

 

よかった、良かったと思ったら、次の日に子どもが嫁に「ママ、レモンって10回言って」とやっていて、嫁が「なんでそんなこと知っているの?」となって「えっと、パパがね」となって、すぐに「ちょっとパパ!」となりました。生活の知恵なのになぁ。

 

はい、今日の話題はパシリについてです。
 
よく犬は家の中の序列を理解すると言いますが、息子も序列を学んできたようで、少しずつ僕の序列が下がっています。赤ちゃん、僕、4歳の息子、ママっていう感じです。
 
こないだは「パパ、だめでしょ、ももペチンだよ!」と言われて、モモを平手でぶたれました。
 
それぐらいは「痛いぞ、あはは」で済むのでいいですが、先日ついにパシリ指令がでました。
 

保育園児から言われたパシリ指令

その日は、みんなでご飯を食べていたら、左利きの息子と右利きの僕で肘がぶつかってしまいました。
 
それでイライラした息子が「もうパパ!」と怒り出しました。
 
その次に僕に向かって「パパ!もう公園に行ってどんぐり100個拾ってきて!」と言い出しました。でました。謎のパシリです。
 
高校生のパシリは焼きそばパンが定番ですが、保育園児だと「どんぐり」みたいです。
 
むかついたので「それなら焼きそばパン買ってこいの方がまだマシだよ。コンビニいけばいいし」と言ったら「ゴハン食べてるんだらパンはいらないでしょ!」という当たり前のことを言い返されました。
 
もちろん無視してやったら、次の日に「パパ、どんぐりはまだ?」と言ってきました。なかなか記憶力が良いところも憎たらしいなと思います。
 
あぁ、今日も曇り空が晴れないなぁ。
 

進級を嫌がった4歳の息子がいった一言に脱帽

 

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先日、4歳の息子が通う保育園の進級お祝い会があった。

 

簡単なお遊戯をして、それを親がビデオに撮って、名前を呼ばれた息子がもじもじしながら「は~い」と元気に返事をする、とかそんな感じだ。

 

仕事を半休にして朝から出かける。早めに終わったので、ご飯を買って近くの公園に行くことにした。

 

息子が進級を嫌がる理由とは?

 

その時に息子を抱っこしながら、こんな会話をした。

 

「おめでとう。これでゆり組を卒業して、みかん組だね!よかったね」

 

「やだなぁ、ゆり組が良かったなぁ。ゆり組のままがいいよ、みかん組になりたくないなぁ」

 

「なんで?」

 

「だって、みかん組になったら形が変わっちゃうじゃん。いまのままでいいよ」

 

この気持ち凄くわかる。普通に進級するだけなんだけど、意外と人生でそういう場面っていっぱいある。

 

バイト先のメンバーと久々に会っても実は話題がない

 

バイト仲間と久々に会う。働いている時は楽しく飲めたのに、なんだかあの頃と違う。学生時代の仲間と会う、近況報告で時間が過ぎるけど、何かが失われていることに気付く。

 

結局、僕らは同じ空間で同じ時間を共有することで、分かり合える事がかなりあり、例えば学校なら「嫌いなクラスメイト」や「面白い先生」の話題でいくらでも盛り上がることができる。

 

だが、そういう対象が失われて、それぞれが自分の時間を過していくと、かつての仲良しメンバーが集まったとしても盛り上がるのは思い出話だけであり、現在の話をされても「ふーん、そうなんだ」となるだけである。時間や空間を共有していない以上、それは仕方がないことだろう。

 

つまり、一度バラバラになってしまえば、もう「形」が変わってしまうのだ。元には戻れない。

 

だからこその「一期一会」であり、一瞬一生(一瞬の積み重ねが一生)なのである。

 

ちなみに僕がそれに気付いたのはバイトをいくつもやって、振り返るべき過去ができてきた20代前半だったと思う。

 

あんなに仲良かった3人組なのに、なんか違うなぁとなることを繰り返してようやく気付いたのだ。

 

そんな世界の移ろいやすさを、息子がつかみ取っていたのかは分からない。

 

でも「形が変わるからやだ」という言葉にはその何か、萌芽のようなものが含まれている気がする。ちょっと分かっている、というか。人生の先輩としていえば、確かにその通りなのだよ。

 

でも、おまえそれ何で知ってるんだ、と何気ない会話に久々にドキリとしてしまった。

 

わかってるなぁ〜。

 

子どもに死の意味を教えるのにおすすめの絵本「かないくん」

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こないだ本当にびっくりしたことがあった。


お布団に入って、みんなで寝ようかな、という時に僕が4歳の息子にちょっかいを出したら「もう!やだ!」と怒りだして、こんなことを言ったのだ。

 

「ねぇママ、パパを殺して、新しい世界を作ろうよ」

 

文字にするとかなりどぎついが、子どものかわいい声で言われると、ん?なんだ、なんだ、となる。

 

その後に何を言ったか脳が理解して、怒ることもできず、茫然としてしまった。

 

幼いから言葉の重みを分からずにアニメか何かの影響で「殺す」といってしまったのはまだ分かるけど「新しい世界」ってなんだよ。

 

なに、その神の視点。やめてほしい。なんて物騒な話だ。

 

いったいどういうつもりなんだろう。いつも見てるアニメはドラえもんだけど、そんなセリフ出てくるのかな。

 

そもそも息子は死ぬということを分かっているのだろうか。

 

4歳児にとって「死」とはなんなんだろう

 

こないだ息子がママに叱られた時に「僕が死んでもいいの?」と問いかけていた。

 

隣の部屋で聞いていた僕は、その言葉に驚いてしまった。

 

ずっとやりとりを聞いていたわけではないので、どういう流れか分からないけど使い方は正しいから、死ぬということをある程度理解しているのだろう。

 

その少し前、嫁がふざけて「ママはもうだめだ、後は任せたよ、バタっ」とやったら、息子はベットに入って、わんわんといつまでも泣いていた。

 

「死」とは何か、死んだらどうなるか、そういうことは分からないだろうけど「死んだらもう会えない」ということは分かっているみたいで、少しずつ、幼い息子の頭の中に「死」というものが入り込んでいるようだ。

 

こんな小さいのになんでだろう、と思うが、自分自身を振り返ると、小学校に入る前ぐらいの頃に、明確に死を意識したことがある。

 

それは父親と寝ている時で、なんとなく死を理解し始めた僕は急に「ということは父もいつか死ぬ」ということに気付いて怖くなって、一人でメソメソと泣いていた。

 

父は僕が隣で泣いていることに気づかず、すやすや寝ていた。その寝ている姿がさらに死を連想させて怖くなった。

死は情報でしかないのかもしれない

 

中学校の時の同級生が亡くなったという話を、同窓会で聞いたとき、それは事実なんだけど、不思議な感じがした。

 

彼が亡くなったのは3年前らしいけど、でも、僕は知らなかったから、ずっと生きていると思っていた。

 

それってまるで星の輝きのようだなと思った。僕らが見ている星の輝きは何百年も前に星が放った光であって、実はその星はすでに消滅している、という話だ。

 

こないだ「羊毛とおはな」というミュージシャンを知って、何曲も聞いて、すごく好きになってライブに行こうと思って調べたら、2015年の4月にボーカルの千葉はなさんが亡くなっていて驚いたことがある。

 

それも同じ理屈だと思う。知らなければ、ずっと生きていたのだ。

 

不思議な話だが、現代における死とはそういうことなのかもしれない。

 

それはこうも言える、死が身近なものから「情報」になった時、それを知らなければ生きているのと同じなのだ。

 

子どもにどうやって「死」を教えるか 

ずいぶん前に小学校でハムスターを飼う理由は、2年間のクラス替えの前に寿命で死ぬから、子どもに死を教える意味でもふさわしいという話を聞いたことがある。

 

また、ゴルゴ13の130巻にこんな言葉がある。

 

「子供が産まれたら子犬を飼うがいい、子犬は子供より早く成長して、子供を守ってくれるだろう。そして子供が成長すると良き友となる。青年となり多感な年頃に犬は年老いて、死ぬだろう。犬は青年に教えるのである、死の悲しみを」

 

確かに動物を飼って、死を教えるというのは一つの手だと思う。

 

でも、いきなり飼えというのは難しい話だ。しかも、死を教えるためなんて、やだ。

 

そう思っていた時に読んだのが「かないくん」という絵本だった。

 

同級生の死を描いた絵本 

 

「かないくん」は、絵が松本大洋、詩が谷川俊太郎、装丁が祖父江慎という豪華メンバーで作られた本である。

 

谷川さんは「スイミー」をはじめ、数多くの絵本で文を担当してきた人。

 

その谷川さんが84歳になって書いたのが、同級生が死んだ話だった。

 

お友達が死んだ、周りはどうなる、自分はどう思う、変わらないもの、そして変わってしまったものが描かれる。

 

「みんな、かないくんのこと忘れちゃったの」というのがグサっときた。お葬式でテキパキしてるおばちゃんとか見ると、確かにそう思う。

 

素晴らしい松本大洋の絵で読み進んでいると、途中から急に場面が変わり、死をどう描けばいいのかわからない、 作家が出てきて、そしてラストは、けっこう意外な展開で終わる。終わりは始まりだと。

 

もしも、子どもにどうしてこの終わりなの?と聞かれても答えるのは難しい。そんな終わり方だ。

 

でも、そういうスッキリ、消化できないラストだからこそ意味があると思う。

 

子どもにも読ませたいけど、大人でも楽しめる本だ。

 

そう、僕らは絶対に死ぬ。こんな先が見えない時代でもそれだけは100%だ。

 

だからこそ、この本は死ぬまでに読んでおくべきだと思う。

 

 

 

親が涙するおすすめの絵本「おおきな木」村上春樹訳

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ごんぎつねのことを思い出すと、心が痛む。

 

いっぱい絵本は読んだのに、心に残る作品には少しの理不尽さと憤り、そして死がある。

 

それは戦時中のゾウの処分を描いた作品「かわいそうなぞう」でも同じである。

 

物語はいつだって、すっきり爽快だけではない。

 

勧善懲悪やハッピーエンドは気持ちは良いけど、その瞬間、通り過ぎるだけで何も残らない。

 

実は文章も一緒で、本当に上手い人はわざと「悪文を混ぜる」という。

 

そうすると、いままですんなり読めていた文章が、「ん?どういうこと」となってテンポを落とす箇所が出てくる。

 

そうすることで何かが残る文章になるのだという。

 

ちなみに僕はそんなテクが無いから、まずはスッとスッと読めるものを心がけている。

 

村上春樹訳の「大きな木」は良い物語なのか?

 

いま絵本業界で話題になっている本に「おおきな木」という作品がある。

 

なにが話題なのか、それは「これは良い話なのか、ひどい話なのか」という論争が日本で起きているからである。

 

この作品は、1964年にアメリカのシンガーソングライターであり、作家でもある、シェル・シルヴァンスタインによって描かれ、日本でも1976年に出版されている。

 

本田錦一郎さんによって翻訳された同作品は多くの人に愛されていたが、 出版元が発行を続けることが困難になった。

 

そこで出版社を変えて村上春樹が新たに翻訳を行い、2010年に改めて発行されたのだ。

 

いつも木と話す少年。枝にブランコを付けて、ずっと仲良しだったが、やがて少年は女の子に夢中になり、木とは遊んでくれなくなる。

 

それでも木は少年を待ち続けていた。

 

久しぶりに少年が来たと思ったら、お金が必要だ、家を建てる木が必要だ、と言いだす。

 

そのたびにリンゴの木は実をあげたり、木を切ってあげたりする。

 

さらに「遠くに行きたい」と言いだした時には、自分を切って船にしてあげている。

 

しまいには切り株だけになったリンゴの木。そこにやってきたのは、年老いた少年だった。

 

「疲れた」という少年に「私に座りなさい」とリンゴの木は声をかける。 切り株に腰かけた姿を見て、果たしてリンゴの木は幸せだったのか・・・。

 

まさに親と子の関係のようだ。与え続ける親、受け取り続ける息子。

 

最後の最後に村上春樹が投げかけた言葉がいつまでも心に残る。

 

そして、ここだけが前の人の翻訳と明確に違うところだという。

 

子ども向けだけど親に読んで欲しい一冊

 

僕はこの本を読んでいて、後半泣きそうになってしまった。

 

木と自分を重ねたからだと思う。子どもが生まれた時「自分より大切な存在がいる」と初めて知った。

 

本を読んでいるとその時の気持ちが蘇ったのだ。

 

その一方で、無条件に甘え続ける少年にもイライラした。でも、理不尽だからこそ、心に残る作品だといえる。

 

この本が売れている理由は、きっと親がぐっと来る作品だからだと思う。

 

手元に持っていて何度も読み返したい一冊だ。

 

11ヵ月の息子が笑う鉄板ネタを見つけたよ

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パパのライフはもうゼロです――。

 

この書き出しは「やめて!ハハのライフはもうゼロよ!」にインスパイアされた感じだけど、本当にもうライフゼロです。ぜーぜー言ってます。

 

何が起きているのか、それはかわいい11ヵ月の我が子の笑顔のためなのです。

 

ついに判明した11ヵ月の息子が笑う往年の動き

 

4歳の息子が爆笑するギャグ、それが「よっこいしょういち」だというのは、
以前のブログで書いた通りなのですが、もう一人の11ヵ月の息子の方が
ずっと分かりませんでした。

 

お腹が空いては泣き叫ぶ、ママがトイレに入ってはトイレのドアの前で泣き叫ぶ彼に何をすればいいのか――。

 

答えはふいに生まれました。

 

その前から彼が激しい手の動きが好きだと気付いていたので、その日、両手を高く上げぐるぐると回してみました。

 

さらに足も地団太を踏むように激しく動かします。

 

最後に決めゼリフの「ポゥ!!」の声とともに我が子を指差すと、見事に爆笑しています!!

 

そう、カズダンスです。

 

Jリーグ世代の必修科目はカズダンスだ!

 

僕は1978年生まれなので、ちょうど中学3年生の時に、Jリーグが開幕し、オレオレ言ってました。

 

僕はちょうど小6の時に連載開始された「スラムダンク」の影響でバスケをやってましたので「あれ、バスケが流行っているんじゃなかったの??」と、女子がサッカー部にキャーキャーいうのを見ながら思った記憶があります。

 

そんな世代のお調子者人間にとって、カズダンスなんて必修科目みたいなもんでした。

 

かわいい我が子の笑顔。やっと見つけた笑いのツボ。

 

嬉しくてうれしくて、僕は何度もカズダンスをしました。

 

調子に乗って「オーレオレオレオレ」とか歌ってます。

 

懐かしいです。もうJリーグカレーが食べたい気分です。ノリノリな僕。苦笑いの嫁。そんなの気にしません。

 

かれこれ15分は経ったでしょうか。

 

体は熱を帯び、疲れ果ててます。
すっかり体調不良になりました。。


その日はR-1があったのですが、それを見ずに寝ました。


大好きなザコ師匠のビッグなボイスと「ハンマーカンマー」が向こうの部屋から聞こえました。

 

年甲斐もなく、カズダンスなんてするもんじゃないですね。

 

でも、これ鉄板ですよ。1時間踊ればきっと1時間笑ってくれます。

 

11ヵ月の赤ちゃんの笑わせ方が分からない人はぜひ試してみてください。

 

それにしても、こういう経験を経て、人は「若い時に産んだ方が楽だよ」っていうんでしょうね。

あの日から5年で子どもが二人増えました

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長男の妊娠が分かったのは、震災の年の5月だった。

 

あの頃、地震と津波がひと段落して、今度は放射能騒ぎが起こっていた。

 

テレビでは政府が「ただちに影響は無い」といっていた。逆説的には「将来的には影響がある」と何度も繰り返している状況での妊娠の発覚。

 

逆算すれば、震災前。もしも震災の後なら「今はやめておこう」となっていたかもしれない。

 

「こんなタイミングで生まれてくるのかぁ」と思った。

 

あの頃の空気はそういう感じだった。世紀末感が半端無かった。

 

同じ頃、小さい子どもがいる友達が放射能から逃げるために2組も東京から移住した。

 

この子と二人のときに地震が来たらどうしようと妻がいった

 

うちの嫁は子どもが生まれた後、軽い産後うつになって、しくしくと泣き出した。


「もしもまた地震が来たら、この子と逃げられるかな」


まっ暗い部屋でそう言って泣く妻に、僕は大丈夫と言い続けるしかなかった。

 

そういう時期だった。でも、だからこそタフに育って欲しいと思った。

 

震災後を生きる子どもに残したメッセージ

 

そういえば、出産前に僕と嫁は子どもにメッセージを残した。

 

三脚で固定したビデオカメラに向かって生まれてくる子どもに話しかけた。

 

「大変な時代だけど、力強く生き抜いてね」

 

もう一度地震が来るかわからないから、最後のメッセージのつもりで、何度も何度もやり直しながら完璧なものを残した。

 

残したつもりだった。

 

でも、こないだ見返したら違和感がある。何かがおかしいのだ。

 

なんだろう・・・。全体をもう一度見てみる。

 

 

「あ、僕のチャックが開いてる、、、」

 

なんで、なんでこんなまじめな顔で、メッセージ語ってチャック開いてるんだろう。

 

それに気付いて、みんなでゲラゲラ笑う。

 

あの頃、お腹にいた子どもが「パパ~チャック~」と言っている。

 

下の子は笑顔のまま、つかまり立ちで歩いている。嫁も笑っている。

 

気付いたら4人になっていた。


そんな未来あの頃は想像もできなかった。

 

世界がこれからどうなるのかなんて、いまも本当に分からない。だからこそ、せめて今は笑えるように日々がんばろうと思う。

 

それがあの日から5年目の誓いだ。

 

 

子どもが生まれたらどうやって寝るの問題

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子どもが増えた時に夫婦を悩ませるのが、どうやって寝るのかという問題。

 

一人目の時はなんとなく、どうにかなったけど、二人目になるとそうはいかない。

 

うちは子ども二人いますが、いま思うと一人目の時からこうしておけば良かったのがあるので、それについて書こうと思います。

 

みんなで寝たいのか、バラバラでいいのか

 

うちにはもともと無印のセミダブルベッドがひとつあって、最初の子が生まれた時は、嫁と子どもがそのベッドに寝て、僕が下に布団を敷いて寝ていました。

 

ただ、二人目が生まれるという時に、どうしようとなりました。

 

この時の選択肢は3つです。

1、ベッド=嫁・赤ちゃん、布団=僕・長男(3歳)
2、ベッド=嫁・赤ちゃん、長男 布団=僕
3、ベッド=嫁・長男、布団=僕・赤ちゃん 

これで夫婦で話し合った結果、2はあり得ないと。セミダブルに3人は無理だと。それで1が一番現実的な気がして、その方向で進んでいました。

 

ただ、途中から嫁から「大きいベッドにみんなで寝たい」という希望が出てきたので、その方向で再度検討することになりました。

 

キングサイズを求めてIKEAへ

 

みんなで寝たいなら、でかいのを買えば良い、と最初は思ってIKEAに行きましたが、IKEAはキングサイズなどの表記は無く、ダブルベッドというのがあるだけでした。
それを見ながらもう一方で、その大きいベッドは将来どうなるんだろうと考え始めました。

 

子どもが大きくなったときに、子ども部屋にベッドをあげる、あるいは夫婦がまた同じベッドに寝るときに、その大きいのは使えないなと。

 

また、同時に既存のベッドを捨てるのがもったいない、という気持ちも出てきました。

 

無印のベッドを組み合わせる

 

ということで以下の条件で再度検討することにしました。

 

・ベッドを組み合わせて大きくする。
・既存のベッドも活かしたい。

 

もともとのベッドが無印のマットレスとフレームだったので、無印良品に行ってみました。

 

そこで店員とも話した結果、
・ダブルとセミダブルのフレームを買って、それをピタリとくっつける。
・マットレスはダブルをひとつ買って、既存のセミダブルのマットレスは活かす(フレームは処分する)
ということにしました。

 

ちなみにフレームは以下のものにしました。

www.muji.net

 

これにヘッドボードを組み合わせて使ってます。

 

この「2つの無印ベッド組み合わせ作戦」で、ようやく我が家は家族4人が一緒に寝れるようになりました。

 

6畳の寝室ががっつり埋まるので、覚悟が必要ですが。

 

一個だけ問題なのは、昔のマットレスと、いまのマットレスで規格が変わり、若干高さが違うことです。たぶん3cmぐらいだと思いますが、寝ていると意外と気になります。。

 

そう思うと、最初の子が生まれたときにダブルを1個買って、2人目が生まれたらセミダブルを買って足すなど、もっと計画的にやっておけば良かったかなと思います。

 

まとめ

 

・ベッドは大きいベッド1つよりもセミダブルとダブルなど2つをくっつけた方が後々分けられる
・子どもを何人産むか考えたうえで最初のベッドを買った方が良い(理想論ですが)
・もちろんお布団の方が楽。ベッドだと柵を付けても心配なので(うちは嫁がベッド派だった)

 

子育ての中で意外と話題に上らないどうやって寝てるか問題。

 

うちもけっこうニトリ、IKEAとぐるぐる回って苦労したので、どなたかの参考になれば幸いです。