うちの息子は天才か?ギター演奏はまさかの●●だった!
気付けば息子は4歳11ヵ月。来月には5歳になります。
そんな彼は相変わらず、ち●●んネタが大好きです。
先日も1歳の弟と、引っ張り合いをしていて急いで止めました。
女の子はどうか知りませんが、男の場合は飛び出してますので、やはり気になるようです。
息子が披露した衝撃のエアギターとは
そんな彼が先日、寝室から飛び出してきてエアギターを弾き始めました。
「ち●ち●ギター~」と楽しそうに歌っているので、なんだろう、と思ってよく見てみると、ズボンと上着の間から、サムシングエルス「かわいい何か」が飛び出しています。
彼はギター演奏のような動きで、ち●ち●の部分を刺激し続けていたのです。
「なんということでしょう」。
脳内でビフォーアフターのナレーションが聞こえます。
エアギター=楽しい、ノリノリ×ちん●んへの刺激=気持ち良い。
この楽しくて、気持ちが良い状態の彼は最高の笑顔で、ち●こギターを弾いて歌っています。もう「ひゃははは」って言いながら歌っています。
もう、天才かなと。その発想は無かった。突き抜けたなと。我が息子ながら敬服しました。
大人がやったら、完全な変質者です。でも、ちびっこ男子なら許される。
完璧な動きです。
「やめなさい!」とベシっと頭を叩きながら、僕はそんなことを思っていました。きっと彼は将来、『イグ・ノーベル賞』とか、獲ってしまうだろう。ビッグになる。そう確信しました。
怒られた彼は、隣の部屋でまだギターを弾いているようです。
いつかバンド結成したら、もっと面白いなぁ
4歳児が急いでいる時に言った言葉に1秒だけ救われた話
久々の更新。
便りがないのは元気な証拠と一緒で、書かなかったけど、みんな元気です。
気付けば、長男は4歳と8ヵ月。次男は1歳と4ヵ月になっていた。
毎朝、この二人を連れて保育園にいく。
というのも、嫁は僕よりも先に家を出て会社に行くので、仕方なく僕が彼らを連れて行く。
彼らと行っても、ハイハイした赤ちゃんと、口だけ達者な4歳である。
言うこと聞くわけない。毎朝戦争だ。
遅刻寸前の僕に言った言葉
ひどいのが「毎朝薬を飲みましょう」と医者に言われた時だ。
嫁は寝ているうちに出て行くので、朝起きて僕が薬を飲ませる。次男はスポイトでぴゅーで終わりだが、長男はそれがいやなようで、コップに入れるけど、飲まない。
仕方ないからやけくそで、「●●くんのちょっといいとこ見てみたい!最初に3回!」なんてやったら、見事に飲んだ。こいつノリやすいやつだな。
それ以来、薬が一週間分あれば毎朝コールをしている。なんなら息子の方から「ね~パパ、最初に三回のやつやって~」と言ってくる。
そんなこんなで朝はやることがいっぱいだ。
もう「ほら、早くしろ!」と言っているのに、長男は靴べらでおじいちゃんの真似をして、玄関でゲラゲラ笑っている。
イライラも頂点に達して、「ほら、もう先にいくぞ!!」と怒った時に長男がいったのが「ね~パパ、人生のんびりいこうよ」だった。
・・・そうだ、その通りだ。何を俺はあくせくしているんだ。パパ、間違ってた。のんびり行こう。ってダメ、ダメ。電車乗り遅れちゃうよ!
ということで、やっぱり大急ぎで動いたんだけど、息子はどこで覚えたんだろう。彼の言うこともやっぱり一理あるよなぁ~。
おれだってのんびりいきたいよ~。
おばあちゃんはママのママなのです
4月に下の子が保育園に入った。
そしたら、途端に病気ばっかり。上の4歳の子も含めて、毎週どちらかが交代で病気している印象。
嫁が働き始めたこともあり、仕方なく、うちの母親と嫁の母親に来てもらいながら、なんとか日々をやり過ごしている。
最初は警戒していた、上の子も、嫁の母親を「小さいばあば」と呼び、僕の母親を「大きいばあば」と呼ぶようになった。
体格というよりは身長でそう呼ばれているみたいだ。
息子が気付いた事実
昨日は嫁の母親が来て、今朝はうちの母親が来ることになっていた。
嫁が出勤し、息子たちと僕で朝ごはんを食べていた。
その時に4歳の息子がふいに
「ね~小さいばあばは、ママのお母さんなの?」と言いだした。
「え、なんでそう思うの?」
「だって、ママが小さいばあばに『お母さん』って言ってたから」
「すごい、よくわかったね!」
「じゃあ、大きいばあばはパパのお母さんなの?」
「そうだよ、よく分かったね!」
という会話をした。
そうか、そうだった。ちゃんと説明したこと無かった。
きっと息子は自分なりに「点と線」をつなげて、ばあば=パパとママのお母さんというところに辿り着いたのだ。
そう考えて、自分自身を振り返ると、けっこうあやふやなまま接していたことに気付いた。
たとえば頭がチリチリの親戚のおばちゃんとか、いつも酔っぱらっている親戚のおじちゃんとが、どういう繋がりの人物なのか良く分かってなかった。
おばちゃんはおばちゃんとして、そこに存在していたが、実は母親の従兄だとか、そういうのって聞かないと教えてくれないもんだった。
あと、自分が小さい頃におばちゃんと呼んでた人が、実は当時22才ぐらいだったことや、最近家を建て替えた叔父さんが最初に家を買ったのが26歳だったことなど、今になって、親戚たちの当時の年齢を考えると色々と思うことがある。
そんなことを芋づる式にずるずると思い出した。
それにしても、息子はよく自分で気付いたなぁ~。
4歳児の母親への愛に罪悪感すら感じる話
さいきん4歳の息子の流行りはお地蔵さん。
ママがプールに行っている時に、近所のお地蔵さんに二人でお参り(手を合わせて願いごとをいう)をしたんだけど、それ以来、お地蔵さんというワードが会話の中でよく出てくるようになった。「お地蔵さんは歩けないんだよね~」とか、そんな感じで。
繰り返される求婚
ママ大好きな息子は、たびたび「ね~ママ、結婚しようよ」と言っている。嫁も嬉しそうに「いいよ」とか言っている。
そんな子どもとママのやりとりをほほえましく見ていたが、こないだ
「ママ結婚しようよ」
「だめだよ~」
「なんで、じゃあ、赤ちゃん(弟)と結婚しなよ」
「だめ、だめ」
「なんだよ!じゃあ、パパとすればいいじゃん」
「しているよ」
「え・・・・」
というやりとりがあった。
なんだよ、その意外そうな表情。クラス一のイケてないやつと付き合っているマドンナみたいな感じなのか?
やめてほしいなぁ~。
ということが、家の中で繰り返されていた。
純情な感情が空回り
その日は、天気の良い5月だった。
朝から家族みんなで世田谷区の松陰神社あたりをウロウロしていたが、長男は朝からずっと「シャボン玉がしたい」と言っていた。
だが、「そのうちね~」とはぐらかしながら、家に帰ったら「もう、パパのうそつき!」と怒りだしてしまった。
時間は6時半ぐらい。やや暗くなってきたが、まだ間に合う。近所の公園に行ってシャボン玉を始めた。
息子がすぐにシャボン玉を作る。久々に見たら、呼吸の強弱が上手くなったみたいで、大きいシャボン玉や細かいシャボン玉など、色々なバリエーションを作れるようになっていた。
「そろそろ行くよ~」と声をかけたら、「最後!」と言って息子が空に向かって、大きなシャボン玉を飛ばした。
そして、大急ぎで手を合わせて「ママと結婚できますように、ママと結婚できますように」と言った。
そのあまりにまっすぐな気持ちを前になんだか時間が止まってしまった。
やがて僕は罪悪感を感じた。それは自分が旦那として存在していることにだった。「ごめんよ~」という気持ちになった。
家族の新しい形はどうなるのか?
昨日のこと。散歩中の息子がまたママに「結婚しよう」と言いだした。嫁が「パパと結婚しているんだ」と言うと、息子はまた怒りだし、「なんだよ、パパは赤ちゃんと結婚すればいいじゃん!僕はママと結婚するよ」と言いだした。
それは良い考えだ。だいぶ枠組みが変わるが、新しい形が見えてきた。そうだ、そうだな。
って、見えねーよ!
それにしても、すごいなぁ。男の子の母親への愛はまっすぐだなぁ。驚いちゃうよ。
息子のち○ちん、う○ち期の不可解な発言
なんだか、ずっとざわざわした嫌な気持ちが続いている。
先日の記事に対して「ステキなご家庭」というコメントをいただいたのだが、そんなことは無いからだ。
そして、ツイッターのタイムラインには「リスクをとらない人の文章は面白くない」と書いてある。
「ドラマとは退屈な部分をカットした人生だ」と言ったのはヒッチコックだけど、ブログだって同じようなもので、汚い部分をカットして、きれいにしたものが育児ブログだ。
でも、それじゃいけないと心の声が言っている。リアルじゃない。
息子は母を独占するために父を攻撃する
いま読んでいるのが「脚本を書くために知っておきたい心理学」という本で、その中にフロイトの心理学の基本が書いてある。
育児中に読むとけっこう面白いのだが、そこに書いてあったのは
・幼少期の息子は母親を独占したいと思っている(娘は出てこない)
・息子にとって授乳、一緒にお風呂に入る、キスは母親との性行為である
・社会通念上の近親相姦があるので、思春期になると別の女性を好きになる
・そして息子は母親を独占したいために、父親を攻撃する。しかし、父は強いためにそれが実現できない。
そこから来る葛藤を分析するのがフロイトの心理学らしいんだけど、この最後の項目が面白い。
確かに嫁と二人で暮らしていたころのようにベタベタしようとすると、息子が激しく攻撃してきて、間に入ってくるのだ。
もちろんフロイトの考え方については、色々と間違っているという意見も多いが、合っている部分もあるのかもしれない。
そう、息子は僕を攻撃するのだ。
ちん○ん、う○ち期の真っ最中はこんな感じ
春になると新緑が芽吹き、きれいな花が咲く。朝、息子を保育園に連れていくために、そうした景色を見ながら自転車を走らせる。幸せな気持ちだ。
でも、後ろにいる息子は「おちん○ん、うんち~」という歌を歌っている。「え、何歌っているの?」と聞くとケタケタ笑って教えてくれない。
こないだは「パパ~男の子にはちん○んがあるけど、女の子にはないんだよね」と言いだして、そうだよ、と答えたけど、次に何を言うのかなとザワザワしたら、何も言わなかった。
なんだかやたらとちん○ん関係に関心があるみたいだ。これはいつ終わるんだろう。。
この二つが組み合わさったリアル
息子は母親を独占するために父親を攻撃する、そしてちん○ん、うん○期の到来。この二つがいま息子の中で同時に来ている。
その結果、息子は僕に向かって「ね~パパ、う●ち食べて」と言って来るのだ。
なんて恐ろしい!!!
別にトイレで言われるわけではなく、部屋でくつろいでいる時などにふいに言うのだ。
僕は最初、これは何かすごくヤバイことなのだ、と思っていた。
そういう趣味がある人が存在することは知っている。しかし、僕はそこには縁が無いところで生きてきた。
だが、息子はそういう知識もなく、そんな言葉を口にする、ということは犬が体調が悪い時に自分の糞を食べるように、人間のDNA的にはそれを食べるように組み込まれているのかな、と思ったのだ。
子どもは本能で生きてるから、それを言うけど、やがて、社会通念を学んだ段階で言わなくなってしまうのかと。
よく痴ほう症の人がう●ちをぶちまけて、という話を聞くけど、それも同じで僕らとう○ちを隔てているのは社会通念であって、それが無い子どもや痴ほう症の人は自分の体から出る身近な存在として感じているのかもしれない。
僕は息子にそれを週2ぐらいのペースで言われながら、そんなことを考えていた。
でも、どうやら違った。
もっとシンプルに父親を攻撃していたのだ。つまり「クソ喰らえ!」ってやつだ。
なんてやつだ!!ひでぇ。
それもこれも良い思い出です。と言いたいけど、現在進行形!!!
もう言わせないぞ。
はい、これがリアルなんです。ぜんぜん良い家庭じゃないんです。
泥仕合です。その泥はよく見たらあれな感じです。
でも、双子が同時にその時期が来たらどうなるんだろう。
想像しただけで嫌になっちゃった。
子どものテストはドキドキすぎて自分でやった方がラクだ
先日、子どもがスイミングに通い始めた、ということを書いたが、土曜日に進級テストがあった。
この日は嫁の妹も来て、家族総出で見に行く。
最初に僕と息子が先発することになった。手をつないで歩いていると「何ももらえなかったらどうしよう」と珍しく弱気な発言をする息子。
「上手くいくことだけを考えろ!そうすれば絶対大丈夫だ!」とアメリカのボクサーのセコンドみたいなことを言ってみる。
「そうだよね、成功すると思えば成功するよね」と分かったようなことを言う4歳の息子。
二人して鼻息あらい感じで自転車に乗って、プールに向かい、いつもどおりに着替えて送り出す。
手に汗握るテストで息子がとった意外な行動
最初はいつものルーティンと同じ、すべり台とかで遊んでリラックス。その後にいよいよテストが始まった。
ボードをもったコーチが一人ずつ名前を呼び、3メートルほど泳いで、それから小さいバケツに入った水を頭にかぶる。
ぼーっと見ててもいいけど、こないだ誓ったように、真剣に応援すると決めたので目に力を込めて、一時も話さないつもりで見る。
がんばれ、がんばれ、と思って見てたら、なんとかバタ足で3メートルは泳げた。
次はバケツを受け取って、頭にかけろ、と思ったら肩越しに後ろにビシャーと流しやがった。そんで笑ってる。先生が再度バケツを渡すと今度はちゃんと自分の頭にかけた。
なんなんだ、あの感じ。意外と心臓強いな。
ずっと手を握り締めながら声を出さずに応援する。
そして、プールから出てきた息子は、笑顔で合格のバッチを持って出てきた。
やった、やったと二人で喜ぶ。
バケツの水を捨てたことを聞いたら「あれ、面白かったでしょう」だって。確信犯かぁ。
嫁は途中段階では「私は結果を気にしない」と言っていたが、やっぱり嬉しそうだった。
その後は二子玉川の「100本のスプーン」で祝賀パーティー。
ここはスープストックの新業態で、現状では、あざみ野と二子玉川にしかないお店。子連れで来ることが前提のようなところで、料理はたいていハーフサイズがあるし、離乳食無料なので、小さな子ども連れにはありがたい。ティータイムだったからか、周りも赤ちゃんなどが多かった。
それにしても、初めての我が子のテストは、本当にドキドキした。子育てをした人はみんなこういう経験しているんだね。
自分でやる方が楽だわ。でも、この歯がゆい感じがあるからこそ、上手くいった時は嬉しい。
決着をつける、というか、白黒はっきりつく世界って社会人になってから久しくみてなかったけど、これはこれでいいね。夢を託す親の気持ちが少し分かった。中毒になるわ。
これからもプレッシャーにならないように、子どもと一緒に喜びを共有してければいいなと思う。
こういうのがあるから、子育ては面白い! 目指せアニマル浜口だ。気合いだ!
子どものまっすぐな言葉にドキリとしました
2月から4歳の息子がプールに通い始めた。
スポーツクラブに行っているので週に1度で月に7000円ぐらいかかる。
恐るべき世田谷区。僕も小さい頃に通ってたけど、親はそんだけ払ってたんだね。
携帯1台と一緒だ。
それでもやはり泳ぎは上手くなって欲しいので、通わせることにした。
ガラス越しの息子に見とれてしまう
プールは土曜日のお昼になった。初めてプールに入った息子は、かなり怯えた様子。ちょこんと体育座りをして、みんなと一緒に座っている。
よく考えたら、そもそも自分の子どもが遠くで何かやっているのを見るのも初めてだった。しかもガラス越し。
子どもに笑みがこぼれると、こちらも思わず笑ってしまう。たまに上の方の親が座っているエリアを見て、こちらに手を振ってくる。こちらも手を振ると笑顔になる。
いつも部屋にいるときは、上に乗ってきて邪魔だなと思ったりするけど、少し離れただけで、違ってみえてくる。
毎週毎週、嫁と下の子と3人で、息子の泳ぎを見ていた。さすがに教え方が上手いので、だんだん打ち解けて、水にも慣れてきた様子。
気付くと教えることがルーティンになっていた。それと同時にこちらも飽きてきた。
そうなると、ついついスマホをいじっちゃう。周りをみると、すでに何ヵ月も通ってるであろう親はみんなスマホでゲームをしている。子どもなんて見ていない。
みんなそんな感じか。
「子どもは水につけろ」というけど、プールに入れておけば、子どもはごきげんだし、こちらは子どものかまって病から解放される。自由だ。そう思っていた。
子どもは何を不安に思うのか
その日は、嫁が体調不良で僕が一人で息子をプールに連れていくことになった。
急いで着替えさせて先生に預ける。僕は親の席に移動して、自分の席を確保しようとした。その前に温かい飲み物が欲しくなった。自販機は冷たいものばかりだった。
レッスンはまだ始まっていないので、外に買いに行くことにした。
席に戻って子どもの様子を見ながら、時間を過ごす。やがてレッスンが終わって息子が出てきた。
ずっとムスっとしていて、外に出て自転車に乗せようとすると、子どもが怒りだした。
「パパ、なんでいなかったんだよ!」
「え、見てたよ」
「最初の方だよ。いなかったでしょ」
「あ、ジュース買いに行ってた。ごめん」
「パパがいなくて、さみしかったぞ!」
ズキューンときた。
まるで往年の東京ラブストーリーのセリフのように、強めのトーンでいう「さみしかったぞ」は、寒い寒いと早く出発しようとばかりしていた僕の心にズキュンときた。
「ごめんね、最初の方?」
「そうだよ、あのみんなで座ってる時だよ」
そうか、あの知らない人と泳ぐときに、息子はきっと上を見上げて親の存在を確認して、安心してから泳いでいたんだ。
泳ぐところよりも、最初のあの時に居て欲しかったんだな。
僕はまたしくじってしまった。
次の週から僕は熱烈なストーカーのように息子が見える角度を見つけて、たとえそれが外からでも見るようにしている。
もうあんな気持ちにさせてちゃだめだ。あいつはがんばっているんだ。
それにしても、あの「さみしかったぞ」はすごい破壊力だったなぁ。大人になったらなかなか言えない、素直な気持ち。その素晴らしさを改めて感じた冬だった。
さて、明日はプールのテストだ。一生懸命応援するぞ。手もいっぱいふるぞ。さみしいなんて言わせないぞ。
乙武さんはなぜモテるのか
先日、乙武さんがいままで5人の女性と不倫していたことを認めたことがニュースになった。
このニュースにモヤモヤした人は多いのではないだろうか?
人格は別にして、ベッドの上でのパフォーマンスでは俺の方が上なのに、なにが一体。有名人だから? いや、とはいえ。モヤモヤ~~。
僕がこのニュースを聞いた時に思い出したのは、むかし外国人と飲んだ時に聞いた話である。
ポルトガルにいけばおまえはモテるよ
僕はその日、バーで知り合った外国人のJと二人で飲んでいた。彼は会社の経営者であり、お金には余裕がある。奥さんもいる。
Jは30代前半で、身長が180cm以上あり、見た目はすっきりしたヨーロッパらしい顔立ちをしている。
そんな彼が日本の女性について語った話がある。
「クラブとかに行くと日本の女の子が誘ってくるんだ。僕は奥さんがいるよと指輪を見せても『それでもいい』という。どうして?」
「外国人とやってみたいんじゃないかな?」
「それなら君がポルトガルに行ったらモテモテだと思うよ」
「なんで?僕は普通の見た目だけど」
「外国人は日本人がベッドでどんな動きをするのかに興味がある。テクニックとか。日本人は手先が器用だから」
「何もないよ、普通だよ、普通」
と言ったらJがこう言い返してきた。
「僕だって普通だよ」
確かにそうだろう。やることなんてどこの国も一緒だ。
それでも日本人の女性は、彼に声をかけるという。
それは僕の知らない女性の姿だった。逆ナンする女の子なんて都市伝説だと思っているし、奥さんがいると伝えても、構わないなんてそれもまた不思議な話だ。
きっとそれは女性がよく一緒に食事をしている人の料理を一口もらう時と同じ感覚なんだと思う。「どんな味なんだろう、美味しそうだな」というあの感じ。
つまり彼の話を聞く限り、人は好き、嫌いの他に好奇心でもベッドをともにすることがある、という結論になる。
それはずっと存在しているものなんだろうけど、日本人よりも日本にいる外国人の方が鮮明に見えるんだろう。少なくとも僕はそんな経験は無いし(おまえが女のことを分かってないだけだ、と言われそうだけど)。
あとはもうひとつの理由として、外国人ということで、地元などのコミュニティの外側にいることも関係しているのかもしれない。
乙武さんはなぜモテるのか?
乙武さんがモテる理由はきっと彼の人格が女性を惹きつけるからなんだろう。ルックスだって悪くない。
でも、その彼に惹かれる理由の何パーセントかは好奇心のようなものがうっすらあったのかもしれない。
何の確信も無い話であり、すべては空想なんだけど、Jとの会話を思い出して、ふとそんなことを考えてしまった。
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育児中のママに優しい歌声でエールを送る
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河口恭吾の桜は至高のパパソングだった
先週のしくじり先生に河口恭吾が「桜」の一発屋歌手として出ていた。
内容としては「桜ソングで一発当てたけど、それ以降ヒットが出ず、苦しんだ」という話なんだけど、いくつか面白い話があったので紹介してみる。
桜はもともとドラえもんとのび太の関係を歌った歌だった
・もともとはドラえもんとのび太をイメージして作った曲だった。「ドラえもんがそばにいて、のび太くんを笑わせるよ」という意味だった。
・森山直太朗のヒットで「他に桜の曲はないの?」というニーズから、河口さんのアルバムの曲が発見され、ヒットとなった。
・その後は出しても出しても売れず。2008年に出した曲は500枚も売れなかった。。
・桜を歌うのも飽きて、歌いながら「今日の晩ごはん何かな?」と考えていた。
・歌うのを止めて、別の曲を歌っていたら、音楽イベントの主催者から「詐欺だ」と怒られた。
・子どもが生まれた。すると歌詞の意味が変わった。
・僕は「パパ」で君が「子ども」になった。
・新たな意味をもらって、これからも桜を歌っていく
という内容で、最初の方は「日本人は桜ソングが好きすぎる!」とやさぐれた感じだったのに、最後の最後でグッと来る展開になった。
そして、改めて、パパ目線でこの歌詞を見ると、本当に名曲だなと思う。
以下が歌詞です。
↓
僕がそばにいるよ
君を笑わせるから
桜舞う季節かぞえ
君と歩いていこう
まぶしい朝は何故か切なくて
理由をさがすように君を見つめていた
涙の夜は月の光に震えていたよ
二人で
僕がそばにいるよ
君を笑わせるから
空のない街抜け出し
虹を探しに行こう
いつもそばにいるよ
君を笑わせるから
やわらかな風に吹かれ
君と歩いていこう
君と歩いていこう
君がいる
君がいる
いつもそばにいるよ
この番組を見た後に、子どもを抱っこしながら、桜が咲き始めたソメイヨシノの下を歩いている時に歌うと、涙で景色がにじんできた。
そう、実はパパソングって意外と無くて、しかも、こんなにしっくり来る曲は初めてだと思う。
父親って嫁よりも育児で役に立たないし、年代的には職場での責任が重くなって仕事がきつくなるし、それでも、子どもはかわいいから、ずっと一緒にいたいと思う気持ちがあって、そういうモヤモヤした時期に桜を見ながらこの歌を口ずさむ。すると泣けてくるのだ。
特にうちの下の子は桜の時期に生まれて、名前にも桜と入れているのでなおさらだ。
父親が子どもと遊べる期間なんて、実は3歳から10歳(小学校4、5年生)ぐらいまでの7年ぐらいしかない。
僕はアウトドアの達人とか、釣り名人とかじゃないから教えてあげられることは多くないけど、一緒にいっぱい笑ってあげられるように、そばにいたいと思う。
あ~今年は桜の下で何回も歌いそう。
小さなお子さんのいるパパはぜひ試してみてほしい。泣けてくるよ。